ありがとう。の反対語

数年前、当時それを知った時、目からウロコが落ちたはずなのに、すっかり忘れていた。2020年マインドフルネスを扱った映像の字幕翻訳を手掛けた折、それを思い出し、あらためて深く心に沁みわたった。コロナ禍だからこそ、はっとさせられる言葉だった。

 

「ありがたい」は「有り難い」、つまり「滅多にない」という意味だ。

 

だから「ありがたい」の反対は「当たり前」

 

2020年は誰もが、当たり前を失った年だったはずだ。今年は旅行などない、帰省もできない、飲み会も外食も一切なし。今後、どうなるのか不安ばかりが募っていった。友人や仲間と会えないから、「暑気払い」「忘年会」なんて言葉すら忘れてしまいそうだった。

 

しかし年末に近づいて、マインドフルネスについて仕事で調べる機会があり、自分でも瞑想などしてみたら、気づきがあり、心が満たされるようになった。そもそも私たちの身の回りには、当たり前なんてないのだ。ありがたいことで、あふれている。そう考えるようになった。たとえ会えなくてもLINEやFacebookで大切な人たちの活動や元気な姿を知ることができるだけで、ありがたい。年のせいか近年、体のあちこち痛い(苦笑)。とはいえ昨年は精神的に追い詰められていてツラい年末年始だったので、体の痛みを感じる余裕さえなかった。だから今年は体が痛いことすらも、ありがたいのだ。

 

不便は沢山あるし、不安もない訳ではないが、おかげさまで心は満たされている。

今年の漢字は「密」だというが、私にとっては「充」か「満」だ。

色々な意味で、2020年は「有り難い」年だった。

 

来年も感謝の気持ちを持って進みたい。

 

令和2年12月31日

母強し、女は強い

2020年お盆の昼下がり。うだるような暑さの中、母が仏壇を置いているドレッサーの引出しから新聞の切り抜きを掘り出してきた。見出しは「“母の力”カフェーの灯消す」「男社会にき然と」。亡き祖母の功績を紹介する記事だった。祖母の名は小柴美知。戦後、洲崎遊郭が名を変えて残った赤線地帯「洲崎パラダイス」。その地域に住む子供たちのために売春防止法の制定を訴え国会に乗り込んだ女性たちの中に美知がいた。いや「中にいた」どころではない。先頭に立っていた。

 

昭和23年、遊郭はカフェーと呼ばれる特殊喫茶店として営業を続けていた。木場界隈の材木用人工河川にはカフェーで使った避妊具(コンドーム)が毎日、捨てられていた。川に浮く避妊具を子供たちが拾い膨らませ遊んでいる。同じ年頃の子供を持つ親として美知(当時36歳)は黙っていられなかった。PTAに担ぎあげられ主婦たちのリーダー的存在になっていた美知は、たった一人でカフェー組合の元締め宅に出向いて直談判した。すると翌日から避妊具は焼却処分されるようになった。「相手はヤクザさんみたいな、おっかないおじさんでしたよ。私もまだ若かったから恐ろしかった。でも絶対にここから売春をなくしていかなきゃダメだと思ったの」と晩年、美知は語った。

 

そんな美知のもとには、カフェーで働く若い娘たちが代わる代わる相談に来るようになった。当時はまだ、お女郎と呼ばれていた彼女たちに真っ当な仕事を紹介したり身元保証人になったりと、更生の手助けをした。女郎が減ったことに腹を立てた楼主に向かって「仕入れができないなら、自分のうちの娘を出せばいいじゃないか。娘を犠牲にするってことには変わりない。よその娘じゃなく、自分の娘を出したらいいだろ。」と啖呵を切り怒らせた。それ以来、提灯をつけた威勢のいい男衆が家の前にきて「小柴のアマ出てこい」と随分脅された。夜、銭湯に行くのも危ない、いつブスッと刺されるか分からないからと、夫が家風呂を作ってくれた。それでも毎日「ツラ見せろ」とうるさかったから、美知は我慢できずに止める夫を振り切って表に出た。そして、再びあられもない啖呵を切った。「家には子供もいるのに、素人衆相手にそういうこと言っていいのかい。仁義を切って出直しな」と逆に脅してみせたのだ。それ以来、脅しはおさまった。

 

 売春防止法が施行された後、区議に立候補する頃には元カフェー経営者もその妻たちも「小柴さんのためなら」と、こぞって力を貸してくれたという。美知の人生はドラマの連続であった。始めて区議に立候補した際は、まだ地域に女性議員がいない時代だった。その時の男社会からの選挙活動妨害はすさまじかったようだ。その話はまた、後日、紹介しようと思う。以降美知は、区議会や地域婦人団体連盟(地婦連)を始めとする多方面で活動し、世の女性の声を代弁し続けた。コロナ禍に美知が現役であったら、恐らく誰よりも先に地域の女性を集めてマスクを作り、手洗いの仕方を印刷して、各所に配って歩いただろう。区内の学校、病院、ホテルを駆けずり回り、小池さんを猛烈バックアップしたことだろう。

 

                                                       令和2年8月14日

 

 

 

読んでいただきありがとうございました。

リーンゲインズはじめました。

リーンゲインズという、一種のプチ断食を始めた。1日24時間中8時間の間に食事をして、16時間はカロリーをとらないで過ごす。女性は10時間食べて14時間断食でもよいとされている。ダイエット法として紹介されることもあるが私の場合、減量が目的ではない。自粛のストレスを理由に酒量が劇的に増えてきたこともあり、ここら辺で長年酷使してきた内臓を休め、とりあえず体調を整えたいと思った。

 

調べてみると、いい効果がたくさんあることが分かった。人の体はカロリーを取らなくなってから10時間ぐらい経つとグリコーゲンが不足してきて、蓄えている脂肪を分解し始める。へえ。減量目的ではないと書いたが、中年なりの余計な脂肪はついているので燃えてくれるのなら、そんなにうれしいことはない。免疫力UP。美肌。脳にも血管にもいい。内臓の働きが良くなるので、活性酸素の量が減ってアンチエイジング効果も絶大。14時間といっても半分は寝ている時間だ。「はい!はい!やります。」

 

というわけで2カ月が過ぎた。体重は微減だが、むくみが取れて体がスッキリしてきた気がする。そして、何よりよく眠れる。もう、それだけで幸せである。

 

だいぶ慣れてきて思うに「断食」という感じはなく、寝る前と起きてから3~4時間ほど食べないでやり過ごすだけだ。江戸時代以前は2食が当たり前だったと聞く、起きてひと仕事してから朝食、夕方早めに夕食。まさにリーンゲインズだ。庶民の食事が3度になったきっかけは、明暦の大火で復興のために江戸に集まった職人が、肉体労働だから「2食じゃな足りねえ! てやんでぃ!」と言ったかどうかは知らないが、昼を取るようになってからだと言う説がある。つまり家に引きこもって作業する運動量の少ない翻訳業の私は、3食きっちり食べる必要もないのだ。蛇足だが「家に帰るのも面倒でぃ!」というので江戸に屋台や飯屋が増えたのも、同じ時期だそうだ。

 

屋台や飯屋の皆さまには大変気の毒な話だが、今は幸いにも飲み会、食事会の誘いも全くないので、この新習慣にすんなり入ることができた。ちなみにアルコールもほぼ2カ月飲んでない。「ほぼ」というのは先週、同級生が亡くなり献杯でビールを1口だけ口にした。何年も会えていなかったが明るく気さくで元気印の大好きだった友の訃報に涙した。健康で元気に生きていかないといけないなと、この「新習慣」続行の決意を新たにしたところだ。誰もが自分なりのニューノーマルを探らざるを得ない昨今、

「これが私のニューノーマル」である。

 

 

お粗末さまでした。                                         令和2年7月13日

もう5年、まだ5年

 英語は苦手だ。なのに映像翻訳という仕事をしている。そしてデビューしてから今年で5年目に突入した。この仕事を目指した理由のひとつは、洋画を見るのが好きだったから。しかし世の中には週に何本も、いや毎日のように映像作品を観ているツワモノはいくらでもいるし、映像翻訳学校の同期にも洋画邦画、多ジャンルにわたる作品をみてFacebookで紹介文をバンバン書いている方もいる。そういう方々に比べれば、私なんぞ映画好きには入らないとつくづく思う。そして、もう一つの理由が「日本語をリライトすることが好きだった」からだ。ピンと来ない方もいるかもしれないが広告の仕事(私の前職)をしていると、クライアントが用意した資料や原稿を広告上の文字数やコンセプトに合わせて文章をリライトする能力が求められることがある。私はあらゆる業務の中で、このリライト作業が最も得意で好きだった。その究極版と言えるのが「日本語字幕を作る映像翻訳だ」と思ったのだ。

 

 映像翻訳業の皆様には退屈なお話だが、知らない方のために説明すると、例えば、英語ネイティブがよく口にする

 

I'm proud of you「私はあなたを誇りに思う(11文字)」

 

これを発話する秒数はどんなにゆっくりでも1秒ちょっと、早口な人だと1秒を切る。つまり字幕にすると、使える文字数は4文字程度かそれ以下だ。頑張って縮めて「君を誇りに思う(7文字)」としても倍近い文字数を食う。なので、使われるシーンや人間関係に合わせて表現を変える。目上から目下の人に対してなら「よくやった」「えらいぞ」だったり、友達や恋人同士なら「すごいね」「さすが」「やったな」、ライバル同士なら「降参だ」かもしれない。これを翻訳の世界では「意訳」と言うのだが、このリライト作業がとても楽しそうに思えたのだ。もちろん、実際にやってみると想像以上に奥深いものがあり簡単にリライト作業で片付けられない翻訳の世界に溺れることになる。

 

 デビュー1年目、2年目は苦手な英語の解釈と調べ物に四苦八苦し、リライト作業に時間をかけることはまったくできなかった。毎回、泣きが入るほど苦しかった。3年目、情報番組の年間レギュラーの案件にありつけた。とてもありがたかったし、全力で取り組んだつもりだが、それでも苦しさは一向に変わらなかった。いつもギリギリでどうにかこうにか納品の繰り返し。職業選択を誤ったかと思い詰めてさえいた。ところがレギュラーだった番組の翻訳がその年いっぱいで打ち切りとなり、4年目の年明け。3カ月間、仕事がはたと途切れた。春になり、久しぶりにいただいたのは歴史物と軍事物のドキュメンタリー。重めの内容で調べ物も膨大で、悶絶級に苦しかった。

でも、なんと、

 

楽しかった。

 

 一度途切れ、3カ月ぶりに取り組んだ映像翻訳の仕事は私の気持ちに変化をもたらした。まさにターニングポイント。今思えば、3年目に1年間取り組んだレギュラーのお仕事、1人で30分番組全編を隔週で訳し上げる作業が、仕事における筋力アップに一役買ってくれていたのかもしれないと思う。それ以来、仕事は苦しいけれど楽しいものになった。大好きな、大好きなリライト作業にも少しは時間を割けるようになったと感じる。そんな感覚で5年目を迎えている。話にオチがなく申し訳ない。今後は映像翻訳をしていて見つけた小さな気づきも、少しずつブログに書き留めていきたいと思う今日この頃なのである。

 

                                                       令和2年5月21日

 

読んでいただきありがとうございました。

 

コロナ禍

つい先日まで「コロナ渦(うず)」だと思っていた。夫に「何て読むのかな?」と聞かれなかったら一生間違えたままだったと思う。このところ毎日のように目にしているのに、尚かつ日本語を扱う翻訳者の端くれとして実にお恥ずかしい。という訳で調べた。夫と同じように「何て読む?」と思う人が多いのだろう。説明の記事などがたくさんヒットした。

 

正解は「コロナか」。

 

「禍」の訓読みは「わざわい」。2020年は東京オリンピックもあり、なんの根拠もなく平和で明るい1年になるだろうと思っていたら、世界中の人々がウイルスにおののき、不安の「渦」の中で家で「過」ごしている。 だから「コロナ渦」とか「コロナ過」などと間違えても致し方ないだろう。と自分を少し慰めたところで、本題。

 

自粛生活を送る中で「マヨネーズの瓶と2杯のコーヒーとゴルフボール」の話を思い出した。ご存じの方も多いと思うが、知らない方のために簡単に説明する。(※知っている方は読み飛ばしいただければ。)ある大学で哲学の授業が始まると、教授がマヨネーズの空瓶にゴルフボールをいっぱいまで入れて学生に聞く。「この瓶はいっぱいか?」生徒は「いっぱい」と答える。教授は次に小石をゴルフボールが入った瓶の隙間に入れ聞く。「この瓶はいっぱいか?」生徒は「いっぱい」と答える。更に先生は砂を瓶の隙間に入れて聞く。「この瓶はいっぱいか?」生徒は「いっぱい」と答える。最後に先生は二杯のコーヒーを取り出して瓶の中に流し込んで、とてもいい話をする。かなり端折ると、ゴルフボールは家族、生きがい、趣味、情熱など人生で最も大切なこと、小石は仕事、家、車など人生で次に大切なもの、砂はさらにその次に大切なもの。そしてどんなに忙しくてもコーヒーを飲むくらいの時間はできる。最初に小石や砂を入れていって瓶の中を満たしてしまうと、人生で本当に大切なこと(ゴルフボール)に時間を割くことはできない。だから、まずはゴルフボールを入れてから、必要な小さなもので満たしてほしい。そして、どんなに忙しい人生の中でも、友人とコーヒーを楽しむ余裕はあるものだ。 というお話。コーヒーのくだりはビールに差し変わったりしていることもある。

 

聞いたときはとても素敵な話だと感動した。しかしこの度、誰もがこの人生と言う名のマヨネーズ瓶を一度真っ逆さまに、ひっくり返し内容物を入れ直すことを迫られている。しかも、どうしても先に入れたいゴルフボールのいくつかは入れることができない場合が出てきている。当然ながらできてしまう隙間に本来は友人と楽しむべきコーヒーやビールばかりを1人で注ぎ、瓶を満たそうとして溺れかけている人までいるんじゃないだろうか。実は私もそうなりかけている(恥)。長引きそうなニューノーマルを乗り切るためには、新たなゴルフボールを用意する必要がありそうだ。幸い私の仕事は元々STAY HOMEが基本なので「コロナ禍」の影響は大きいとは言えないかもしれない。さらに3月の終わりに子犬を飼いはじめ、隙間を埋める重要なゴルフボールを1つ確保している。仕事の締め切りに追われながら、犬の世話をしてあっという間に5月になった。とは言え少しの買い物にもマスクや消毒が必要で、趣味のバレエレッスンに行けない、友人や翻訳者仲間にも会えないのはやはりツラい。仕事ばかりで、体はガチガチになまっている。開設するだけして半年以上放置していたこのブログ。新しいゴルフボール探しをするべく投稿を開始してみた次第である。

 

                                                        令和2年5月17日

 

読んでいただきありがとうございました。